〈倶子オフィス〉このごろ…25

July 2007

松代(長野県)

 えっ、これが松?と驚きました。これはアカマツの種類の多行松(たぎょうしょう)
根元に近いところから、たくさん枝分かれしています。
 
  

松代藩 文武学校では、日本家屋っていいな、こんな場所での学問はいいな、と。
気がついたら、ヒールを脱いで上がっていました。暑い日でしたが涼しさが吹いていて、
身体のなかには障子や板の間の暮しがしみているということを気づかされた瞬間でした。

松代藩では殖産を興し文武をすすめていました。特に8代真田幸貫が藩主を継ぐと
一層文武を奨励しました。9代幸教は幸貫の志を継いで、文武学校を開校しました。
安政2年(1855)のことです。建物は、文学所、御役所、教室棟、剣術所、柔術所、
弓術所、槍術所、文庫蔵、番所、門にわかれています。
 
  

柔術所の板の間では、足裏からつたってくるものがありましたよ
 
  


〈七夕〉

息をのむほど美しい。そして巨きい。銀座ミキモトの七夕
 
  

Milky Wayかもしれない、フルーツの。七夕の日のスィーツ
GUCCI CAFEで
 
  


June 2007

   

 六月になると、

2,000年の時間に逢いたい。2,000年のねむりに逢いたい。
1951年にその永い眠りから覚めた大賀ハスに。

彼女は夜明けとともに蕾をひらきます。初めての蕾はたぶんやわらかな音をたてて。
きょう それは叶わなかったのですが、……ええ、わたしが着いたのは6時をまわって
いましたから。数時間ほどで、花は蕾に戻ります。

  

インドのタントラでハスは〈顕現〉のシンボル
青、黄、赤、白の光を放つ蓮池は極楽世界。極楽の花としての〈蓮華〉

マーヤさまは、白象が胎内に入る夢を見てお釈迦さまを身ごもりました。出産の為の
里帰りの途中のルンビニ(藍毘尼園)でお釈迦さまは産まれました。梵天と帝釈天が、
お釈迦さまを受けとめると、二人の竜王が甘露水を注いで清めました。
その時ハスの花が咲きました。花のうえにお釈迦さまは立たれ、7歩歩いて四方八方を
見わたしてから、右手を天に、左手を大地に向けて「天上天下唯我独尊」とおっしゃった。

バルナ神の浄土には青蓮、白蓮の花が咲き、蜜の流れる川がある
エジプトでは再生の象徴:ミイラに飾ったり、また王冠に似ているので王位を
表すものとして。太陽神ホルスはハスから生まれました。

蜂巣、蓮、荷、藕など。また 芙蓉も元々はハスの意も
 
  

大賀ハス(千葉公園)
 
  


   

善光寺詣で

日本詩人クラブ 長野大会に参加しました。その翌朝、促されるように目が覚めて、
「……善光寺に詣でなければ」。04:20に宿を出ました。

かつて、表参道(渋谷区)に暮らしていたとき、すぐ近くには 善光寺青山別院(信州善光寺
大本願上人の別院、浄土宗の尼寺)があり、なにより馴染みの場所でした。
また以前、長野でのTV番組の撮影の時、善光寺の門前を車で過ぎたことがありました。が、
そのときはスケジュールいっぱいで、詣でることなど無理でした。そんなこともあって、
そうね、今回は……

大門ー宿坊ー仁王門ー仲見世ー三門と過ぎ、本堂で「お戒壇めぐり」の内陣券を手にしたとき、
券には 04:39と刻されていました。お戒壇
(かいだん)めぐりとは真っ暗な闇の世界(廊下)を
巡るもの。その闇のなかで「お錠前」に触れることができれば、御本尊と結縁になる。

暗がりとはこういうものだった、とわたしは全身で憶い返していました。生家にいたころは
このような闇夜があった。それは日常の時々で、決して特別なことではなかった。
……その時間帯ではほとんどわたし独りですから、お戒壇の廊下の壁(?)に右手で触れながら、
というよりも身体の右半分を壁に摺り寄せながら……というような歩みでした。
ええ、お錠前にはしっかりわたし、念じましたよ。

また「お朝事(あさじ)」に付随して行われる「お数珠頂戴」ーーその日は05:42分ーーも頂き
ました。上の写真は善光寺を後にしたときの仁王門。六時をかなり(20分?)過ぎていました。

  


   


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